地域別心霊カテゴリー

2012年9月7日金曜日

ドッペルゲンガー



ドッペルとは、二重、分身という意味である。

以上の意味から、自分の姿を第三者が違うところで見る、または自分で違う自分を見る現象のことである。

自ら自分の「ドッペルゲンガー」現象を体験した場合には、

「その者の寿命が尽きる寸前の証」

という民間伝承もあり、未確認ながらそのような例が数例あったということで、過去には恐れられていた現象でもある。

ドッペルゲンガーの特徴として、

ドッペルゲンガーの人物は周囲の人間と会話をしない。

本人に関係のある場所に出現する。

等があげられる。

死期が近い人物がドッペルゲンガーを見るという事から、

「ドッペルゲンガーを見ると死期が近い」

という民間伝承が生まれたとも考えられる。

なお、もしも運悪くドッペルゲンガーに遭遇してしまった場合は、どういう言葉でもいいので、そのドッペルゲンガーを罵倒すれば助かるというが、詳細は不明。

アメリカ合衆国第16代大統領エイブラハム・リンカーンや芥川龍之介、帝政ロシアのエカテリーナ2世等の著名人が、自身のドッペルゲンガーを見たという記録も残されている。

19世紀のフランス人のエミリー・サジェもドッペルゲンガーの実例として知られ、同時に40人以上もの人々によってドッペルゲンガーが目撃されたといわれる。

また本人が本人に遭遇した例ではないが、古代の哲学者ピュタゴラスは、ある時の同じ日の同じ時刻にイタリア半島のメタポンティオンとクロトンの両所で大勢の人々に目撃されたという。

江戸時代の日本では、影の病い、影のわずらいと言われ、離魂病とされた。

『日本古文献の精神病学的考察』(栗原清一)に一例が記述されている。

その内容は北勇治という人が外から帰って来て、居間の戸を開くと、机に向かっている人がいる。

自分の留守の間に誰だろうと見ると、髪の結いよう、衣類、帯に至るまで、自分が常に着ているものと同じである。

自分の後姿を見た事はないが、寸分違いないと思われたので、顔を見ようと歩いていくと、向こうを向いたまま障子の細く開いた所から縁先に出てしまい、後を追ったが、もう姿は見えなかった。

家族にその話をすると、母親はものもいわず、顔をひそめていたが、それから勇治は病気となり、その年の内に死んでしまった。

実は勇治の祖父・父共に、この影の病により亡くなっており、余りに忌しき事ゆえに、母や家来はその事を言えずにいた。

結果として、3代ともこの影の病にて病没してしまった。

親子共にドッペルゲンガーを経験した例としては、『奇跡体験アンビリーバボー』にて紹介された海外のドッペルゲンガーの事例があり、その親子は母と娘で、現象があったあとも問題なく生きていたとされる。

日本におけるドッペルゲンガーの認知は、前近代の頃より離魂病の一つと見られてきたが、現代創作物においても、そうした認知が脈々と継承されており、特撮ドラマで言えば、『ウルトラQ』第25話に登場する悪魔ッ子リリーの話は、肉体を離れ、精神体が悪事をするという内容であり、漫画で言えば、『地獄先生ぬ~べ~』の郷子の話が例として挙げられる。

これらは、解釈に差異はあれど、肉体と魂が分離した結果、その者の命が危機にさらされ、最後に一体化してハッピーエンドとなる流れで、これらの話は、中国の『唐代伝奇集』の中の、遠くに離れた2人の娘の話で、紆余曲折の末、寝たきりとなった娘(こちらが肉体とされる)が、遠くで暮らすもう1人の自分の話を聞き、起き出して、最後に一体化してハッピーエンドとなるという、離魂した娘の話の類型である。

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